先生 |
気分変調性障害(Dysthymic disorder)を調べてみたでしょう? どう思いましたか? |
私 |
今まで一度も自分の症状にピッタリな説明に出会ったことがなかったのですが、「これは私のことだ!」と思いました。そして説明を全部読んで悲しくなりました。「昔、これを病んでいた人たちは、どれだけつらかったの?」と思ったんです。 |
先生 | そんなことまで心配するのですか? |
私 | いけませんか? |
先生 | いい悪いではなく、ユニークだなということです。心配を始めたらキリがないです。過去ではなく、今この時の自分を考えれば、個人的な経験をもっとプラスに考えることができますよ。今までは自分を説明する病名を知らなかったけれど、今は知っている。それだってプラスに考えられるでしょう。 |
私 | あ、それと、相反する感情を持ってしまうのは、どうしてなんでしょう? |
先生 | 自責感とよく似ています。「首を絞めてやりたい」と思ったら、同時に自責感が湧くでしょう。腹を立てると、同時に罪の意識を感じてしまう。これは一種の自己処罰的な欲求でしょうね。自分の中にとても強力な超自我が芽生えるからです。(実際に自分が経験したことではなくても、あちこちから基準になる考え方を拝借して、理想の自分を積み上げていったということ)でも、それは文字どおり理想ですから、現実ではありません。だから、毎回その理想には届かず、自分を罰してしまうでしょう。そんな厳格な超自我があると、そのうちに罰を受けることに満足するようになるかもしれません。例えば、自分が愛されることに疑問を感じて、わざと相手になじられるような行動をとって、相手が自分を捨てれば逆に安心するような状態になる。実際の自分というより、外部からコントロールされていることがとても多いのです。 |
私 | そうなんですね。一人が好きなのに、一人が嫌いという感情は? |
先生 | そんなの当たり前じゃないですか? |
私 | 当たり前ですか? |
先生 | ええ。程度の差こそあれ、みんなそうじゃないでしょうか? 人は他人との関係のなかで生きていかなければなりませんが、自分だけの空間だって必要ですから。これはもう共存させるしかないでしょう。 |
私 | 私は自己肯定感が低いのでしょうか? |
先生 | 極と極はむしろ通じるものです。ものすごく自尊心が強そうな人に限って、自己肯定感が低いのです。自信がないから、他人が自分を尊敬するように仕向ける。逆に自分についてしっかり満足していれば、誰に何を言われても、関係ないわけです。(つまり、私は自己肯定感が低いということ) |
私 | 自分のしてきたこと全部が、つまらないことに思えます。 |
先生 | ご自分がしたことの多くは、あなたが実際に望んだというより、あなた自身が決めた基準や義務感でしてきたことかもしれませんね。 |
私 | 見た目についての強迫観念もひどいです。化粧せずに外に出られない時期もありました。太ったら、誰も私を見てくれないんじゃないかと思ったり。 |
先生 | 外見のせいで強迫観念が起こるのではありません。理想化された像があるから、外見にも執着するのです。その基準の幅を狭く、高くしすぎです。「体重が50キロを超えたら終わりだ!」みたいに。要は、あれこれ少しずつやってみながら、自分が何を望み、どのぐらいがちょうどいいのか、試してみるといいでしょう。自分の好みを知って、不安を減らす方法がわかれば、自分に対して満足感も生まれますよ。誰かに何か指摘されても、受け入れたり、拒否できるようになるでしょう。 |
私 | 暴食も関係ありますか? |
先生 | ありますね。日常生活の満足度が下がると、もっとも原始的なところに戻っていきますから。食べて寝るという本能的なところに。満足中枢を一番手軽な方法で満たそうとするのです。でも、食べることでの満足感は長持ちはしません。運動するとか何かプロジェクトのようなものが、役に立つかもしれませんよ。長期的な目標を持って、克服するのがいいでしょう。 |
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私 | わかりました。運動を再開してみます。 |