■はじめに

特に問題があるわけでもないのに、
どうしてこんなに虚しいのだろう


「幸せになりたいなら、次のようなことを怖れず、真正面から受け入れよう。私たちは常に不幸であり、私たちの悲しみや苦しみ、そして怖れには常に相応の理由がある。これらの感情を切り離しては、考えることなどできない」

――マルタン・パージュ『ある完璧な一日』

 ここに引用した一文は、私が最高に好きで、共感する文章の一節だ。我慢できないほどつらい時も、友だちの冗談に笑ったり、そうしながら心のどこかで虚しさを感じ、それでいてお腹がすいたからと、トッポッキを食べに行く自分が可笑しかった。ひどく憂鬱なわけでも幸せなわけでもない、捉えどころのない気分に苦しめられた。これらの感情が同時に起きるということを知らなかっただけに、なおさらつらかった。
 どうして人は、自分がどういう状態にあるのかを率直にさらけ出さないのだろう? つらすぎて、そんな気力も残っていないのだろうか? 私はいつも得体のしれない渇きを覚え、自分によく似た人からの共感を求めていた。そして、そういう人たちを探して彷徨うよりも、私自身がそういう人になってみようと思った。ほら、私、ここにいるよと、力いっぱい手を振ってみようと思ったのだ。誰かが自分とよく似た私のサインをキャッチして、こっちに来て一緒に安心できたらいいなと思う。
 この本は気分変調性障害(ひどい憂鬱症状を見せる主要憂鬱障害とは違い、軽い憂鬱症状が続く状態)にかかった私の治療記録をまとめたものだ。個人的で、くどくどした話でいっぱいだが、暗い気持ちを解きほぐすだけではなく、私に起きた具体的な状況を通して根本的な原因を探し、健康的な方向に向かうことに重点を置いている。
 私のように表面的には元気に見えて、内側に膿を抱えているような、中途半端な人々が気になる。世間はとても明るい部分や、ひどく暗い部分にだけ注目しているようだ。私の憂鬱を理解できなかった周囲の人々のことを思い出す。いったいどんな姿でどんな状況だったら理解してもらえるのだろうか? いや、そもそも理解の範疇に入るのか? できればこの本によって「私だけじゃなかった」、あるいは、「世の中にはこんな人もいるんだ」ということを知ってもらうことができたらと思っている。
 アートが人の心を動かすと思っている。アートは私に「信じる」ことを教えてくれた。今日一日が完璧な一日とまではいかなくても、大丈夫といえる一日になると信じること。一日中憂鬱でも、小さなことで一度ぐらいは笑うことができるのが生きることだと信じること。また、自分の明るさを表現するのと同じように、暗さを表現することもとても自然な行為なのだと知ることができた。私は私だけのやり方でアートする。邪心を捨てて、誰かの心に真摯に寄り添えたらと思う。

ペク・セヒ