さきにかねをもらわないと

一九六四年の二月七日の午後、イングランドのグラナダ・テレヴィジョンという会社から、メイスルズ兄弟のところに電話があったという。ザ・ビートルズの四人を乗せた飛行機があと二時間でジョン・F・ケネディ国際空港(前年まではアイドルワイルド空港)に到着するけれど、彼らの記録映画を撮影する意思はありますか、とそのTV会社は、電話に応対した兄のアルバートに訊ねたそうだ。アルバートはザ・ビートルズを知らなかったけれど、弟のデイヴィッドは知っていた。電話で話をまとめ、兄は手持ちの16ミリ撮影機を、サウンド・マンの弟は録音機材を肩にかけ、空港へと急いだ。空港に到着すると、ザ・ビートルズの四人を乗せた飛行機は、滑走路に着陸するところだった。八十一分の記録映画にまとまったこの作品には、The First U.S. Visitという題名があたえられ、おそらく一九六四年のうちには公開されたのだろう。僕はまったく知らなかった。日本で発売されているDVDを二〇一八年に購入し、ついさきほど観た。五十五年遅れの観客だ。

初めてアメリカを演奏旅行するザ・ビートルズに同行し、どこでなにを撮影してもいい、という許可を得ていたのだろう、ニューヨークの空港に彼らが到着したところから、作品は始まっている。もみくちゃ、という言葉をいまここで僕は初めて使う。停止した飛行機にタラップがつけられ、そこへ出て来たときから、四人はもみくちゃになる。なにか歌ってよ、と記者のひとりに言われて、さきにかねをもらわないと、とジョンが応じる。最後に床屋へいったのはいつだい、と訊ねられ、昨日いったけどなあ、とジョージが言う。いまに伝えられる歴史的なやりとりのふたつを、オリジナルの音声で受けとめつつ、画像でも見ることが出来る。これだけでも充分なのではないか、と僕はふと思った。

アメリカでの演奏旅行ではニューヨーク、ワシントンDC、マイアミ・ビーチへ、兄弟は四人とその関係者たちに同行している。取り巻く人々の渦中にいて撮影されたフィルムは、インティメイト・ドキュメンタリー・スタイルと、いまでは呼ばれている。今日まで続いているロックンロール・シネマトグラフィのベンチマークとなった作品、とも言われる。ホテルの部屋のなかでの、ブライアン・エプスタインとその秘書とのやりとりは、そのときその場にいた人のみが撮ることの出来た映像として、たいそう興味深い。エプスタインが部屋を出てから、外からかかってくる電話を秘書の女性がさばく様子も、ドキュメンタリーそのものだと僕は思う。

彼ら四人がアメリカにいたあいだに、二月九日から三週続けて、『エド・サリヴァン・ショー』というTV番組に彼らは出演した。二月九日、二月十六日、そして二月二十三日の、三回だ。彼らが最初に出演した九日の全米視聴者の数は七千三百万人だったと言われている。三回ともこのDVDに収録されているが、番組ぜんたいではなく、ザ・ビートルズが出演するところだけだ。曲の配分が面白い。九日では前半に三曲、後半に二曲、彼らは登場して演奏し歌う。十六日では前半に三曲、そして後半にも三曲だ。二十三日では、前半に二曲、後半は一曲だった。

ギターそのもの、そしてそれを演奏することに関して、もっとも熱心だったのはジョージ・ハリスンだった、という確認をすることが出来る。リズム・アンド・ブルースよりの、しかし明快で受けとめやすい彼のギター演奏は、一九六四年にはすでに世界共通語のような位置を獲得していた。

目次

トップページ

ご購入はこちら