美濃国苗木藩を出奔し浪人となった小此木善次郎の一家三人が、神田明神下の一口長屋に流れ着いて二年が過ぎた。神田明神では、一年前から続く賽銭泥棒の捕縛に乗り出し、善次郎に依頼が。その思いがけない犯人とは。そして長屋に次々伸びる悪の手に立ち向かう善次郎は、修繕された新生一口長屋で、ある大きな使命を得ることになる――。感動のシリーズ完結編。
美濃国苗木藩を出奔し浪人となった小此木善次郎の一家三人が、神田明神下の一口長屋に流れ着いて二年が過ぎた。神田明神では、一年前から続く賽銭泥棒の捕縛に乗り出し、善次郎に依頼が。その思いがけない犯人とは。そして長屋に次々伸びる悪の手に立ち向かう善次郎は、修繕された新生一口長屋で、ある大きな使命を得ることになる――。感動のシリーズ完結編。
「芋洗河岸」シリーズの舞台となるのは、江戸のど真ん中、といってもいいだろうか。江戸の総鎮守とされた、神田明神のある界隈である。神田明神の周囲には門前町が広がり、主人公の善次郎はその、神田明神下にある「一口長屋」に住むことになる。
美濃から出てきたばかりの善次郎は、江戸の地理を覚えようと必死になる。神田川、大川、根津権現、日本橋から芝居町などを訪れ、どんどん世界を広げていく善次郎。果たして、江戸の町にどんな感想を抱くのか?
江戸の頃、神田川に昌平橋がかかるあたりの河岸は、「芋洗河岸」と呼ばれていたようだ。
そして「芋洗」を「一口」と書く場合もある。近くにある昌平坂は、「一口坂」とも呼ばれていた。
なぜ「芋洗」なのか? なぜ「一口」と書いて「いもあらい」と読ませるのか?
それには諸説があるらしい。ここでは詳細に立ち入らないが、近くにあった太田姫稲荷(一口稲荷とも)の由緒。京都に今も残る「一口」という地名。江戸の町を開いた、太田道灌と疱瘡の関わり。そして家康の江戸城入城と、その後の江戸の都市計画。実際に、芋を洗っていた、ということ。それらが関わっているということだが、真実はいかに。
主人公の小此木善次郎は、このどこか不思議な響きを持つ「芋洗河岸」で、偶然に差配の義助と出会い、「一口長屋」という名を持つ長屋に住まいすることになる。
この「一口長屋」にはどうも、大きな謎が隠されているらしい。金もなく、知り合いもなく、仕事もない。ただ妻と幼い息子を連れ江戸にやってきた善次郎は「一口長屋」にやってきたことで、大きな運命へと導かれていく――。
天平2年(730)に出雲氏族の真神田臣によって創建され、大己貴命、少彦名命、平将門命などを祀る神社。戦国大名や、徳川将軍家より深く尊崇され、江戸の庶民からも大いに信仰を集めた。二代将軍秀忠の頃には、「江戸の総鎮守」と定められた。
元和二年(1616年)に神田明神が現在の場所に鎮座した際、神主が寺社奉行所に願い出て許しを得、商人や職人が住む町をつくったという(神田明神HPより)。
小此木善次郎が住む「一口長屋」は、その神田明神へと続く坂道の途中にあり、神田明神下、と呼ばれる一画にある。
ほんの短い間、江戸藩邸にいたことがあるが、江戸のことをほとんど知らずに、神田明神の近くに住むことになった小此木善次郎。歴史と由緒のある神田明神にどうかかわっていくのか? シリーズの読みどころのひとつだ。
新シリーズ 「芋洗河岸」刊行にあたって
新しい作品を書く折り、シリーズ名が頭に浮かぶと、もはや第一巻が半ば為ったような気がする。今回の場合も一口と書いて「いもあらい」と読むと知り、主人公小此木善次郎一家をこの地に立たせたとき、芋洗河岸第一巻「用心棒稼業」の物語が動き出した。
1942年北九州市生まれ。闘牛カメラマンとして海外で活躍後、主にノンフィクション作品を発表する。1999年初の時代小説「密命」シリーズを手始めに、次々と時代小説を発表。2024年1月、文庫書下ろし作品のみで累計300冊突破、累計部数7840万部突破の快挙を成し遂げることに。大好評の「吉原裏同心」「夏目影二郎始末旅」シリーズ(小社刊)の他、2019年に映画化された「居眠り磐音」、「酔いどれ小籐次」「新・酔いどれ小籐次」「空也十番勝負」「照降町四季」「柳橋の桜」「鎌倉河岸捕物控」「交代寄合伊那衆異聞」「古着屋総兵衛影始末」「新・古着屋総兵衛」などの各シリーズで幅広い読者層から支持を得ている。